Takako Style

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弱くても不器用でも、だからこそ愛おしい

2019/09/20(金)
コスモスと、その蜜を一心不乱に吸う昆虫。すぐそばで、シャッター音をカシャカシャ鳴らしているにも関わらず、逃げる気配がないんですよね。よほどお腹が空いていたのか、単なる食いしん坊なのか。そんなコスモスと昆虫ですが、生き物ですから優れた遺伝子を持ったものが生き残っていくのでしょうか。
先日、フランケンシュタインの誘惑という番組で優生学(“いのち”の優劣 ナチス科学者)についてやっていて、これがとても面白かったのです。優生学って、ご存知ですか?わりと最近、優生保護法にまつわる裁判があって、注目されましたけれど、その「優生」と同じ意味です。

ちなみに、番組のナレーションは吉川晃司さん。若い頃も素敵でしたけど、今の方が渋みが増してさらに格好いいと思うのですが(そんな、わたしの好みは、どうでもいいですねw)。

第二次世界大戦下のナチスドイツに、ある科学者がいました。優生学を社会に適用することで、人類をより良い方に導くことができると信じていた科学者。例えば、こんなことが実際にあったそうです。妊娠6ヶ月の妊婦が、フランスとドイツの首都がどこかという問いに答えられなかった。IQの低いこの女性のDNAを受け継いだ子供は社会に不必要。なので堕胎させる、とか。恐ろしくないですか?正気の沙汰とは思えません。

とはいえ、今でこそタブー視される優生学ですが、わりと最近まで、アメリカや日本をはじめ、先進国で採用されてきたのだそうです。ニュースで話題になっていたのは、まさにそのことですよね。

で、考えてみました。わたしは綺麗な人や格好いい人が好きですし、頭脳明晰な人には憧れますし、スポーツだって、できないよりはできる人の方がいいなと思います。そして、できることなら自分もそうありたいと思います(四十路をすぎて、できることとできないことの区別はつくようになってきましたが)。

人によっては理想に近づくために努力することもあるでしょう。その努力が充実感をもたらしてくれることもあるでしょう。そして、その努力は報われる場合、報われない場合、あると思います。報われる場合は良いですが、報われない場合、そんな自分を忌み嫌ってしまうこともあるように思います。それだけなら良いですが、その気持ちが強すぎると、社会的に弱いとされる立場の人に、その気持ちを投影して差別することにつがなるのではないでしょうか。

これは、ユダヤ人を大量虐殺することにつながった思想と通じてしまうと、わたしは思います。だからこそ、ついつい食べすぎて、ややポッチャリな自分とか、細部の美しさを追求するあまり、CSS(WEBのデザイン情報)の編集に時間をかけすぎてしまう自分とか、そういう社会的には優れているとは言い難い自分も許し、認め、愛してあげたいと思います。昔から、できの悪い子ほど、愛おしい、なんていいますものね(そもそも、常識や美の基準は、時代とともに変わりますし)。

それが、社会全体の優しさにつながるのではないかなと、わたしは思います。
今日は、スマホで表(テーブル)を表示するときの余白が、思うように再現できず、ハマりにハマりました。細部まで美しく表示したいのに、思うようにいかないという、このもどかしさ。そんな自分を、ついつい嫌ってしまいそうになりますが、そんな不器用な自分も、愛すべき存在と、あたたかい気持ちでつきあっていきたいものです。あなたは、どんな1日でしたか?どんな自分も許し、認め、あたたかい気持ちで見守っていけると良いのかもしれません。ではでは、またね。バイバイ。

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