全然、本職のWEB制作と関係のない心についての内容ですが(いつもそうか)よろしければご覧ください。憧れのあの人も、それなりの?わたしも、皆んな、豊かさを育んでいるという話。
ここのところ統合ワーク(いわゆるネガティブといわれる分離した感情を統合して癒やすワーク)に勤しんでいるせいか、内観が趣味というか、習慣みたいになっています。で、つい先ほど、あぁ、心の働きとは、こういう風になっているのかと、我ながら感心したことがありました。
何かモヤッとしたことがあったとき、その感情をその都度、手放しているのですが、それが例えば恐怖だった場合、手放して、あぁ、スッキリしたという感覚があったかと思ったら、今度は罪悪感とジャッジが上がってきたのです。
恐怖を感じるような状況をつくった自分に罪悪感を感じ、そして、そんな自分を裁いていたのですよね。これらが無意識のレベルで行われていたのです。一連の流れがわかって謎々が解けた気分。
こういうネガティブ感情というか、邪気が無い人は人間なのでいないと思いますけど、たまに、ほとんどないか、生まれながらに持っていないんじゃないかって人がいます。生い立ちなのか、元々の性格なのか、前世からの因縁なのかetc
それはそれで素晴らしいことですし、その人ならではの役割があるのだろうと思います。が、ネガティブ感情の外し方や外すその過程、付き合い方を味わえるという意味では、ネガを持っていることも悪くないですし、同じような境遇の方の気持ちも理解できるようになるのではという気がしています(もちろん、ずっと握りしめていると現実化してしまうので気づいたら手放した方が良いですが)。
多くの人に憧れられるような人は、単純に素敵ですし、素晴らしいとも思いますが、世間一般の価値基準に照らし合わせて、仮にそうでなかったとしても、その立場でしか味わえない感情があり、それが心の豊かさを育むこともあるのでしょう。つまり、どんな自分も受け止めて愛することが大切なのだと私は思います。私の好きな
大木ゆきのさん流にいえば、相対価値ではなくて、絶対価値で自分を評価するということかな。
今日も全国的に暑い一日になりそうですね。お昼は素麺にしようかと。あなたもどうぞ良い午後を。またね。