フレディ・マーキュリーから考える独自性について
巷では、漫画「鬼滅の刃」が社会現象になっているようですが、わたしは先日、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観てから、フレディ・マーキュリー(クイーンのボーカル)が、気になって仕方がありません。
なので、世間のブームとは、だいぶ差があるなぁと思いつつ(どうしてわたしは皆んなと同じように感じられないのかなぁと、そんな自分をやや疎ましく思いながらも)好奇心の赴くまま、過去のドキュメンタリーや動画、Wikipediaやゴシップ系の記事も読んで、どんな人生だったのか、どうしてこんなに心を捉えるのか、想像(妄想?)していました。
それで思ったのは、オリジナリティ、独自性が鍵なんじゃないかということ。クイーンはロックに演劇の要素を加えて衣装に徹底的にこだわったり、オペラの要素を取り入れたり、とにかく前例がないことでも、やりたいことをやりたいようにやっていたようなんです。だから楽しかったんじゃないでしょうか。そして輝く。
ステージ上のフレディは、もうキラッキラしています。ゲイっぽい雰囲気は賛否分かれそうですが、とにかく眩しいほどに光っています。それが観客を魅了するんでしょうね。
もう一つ思ったのが、同性愛者ゆえにAIDSでお亡くなりになったこと。AIDSって免疫不全の病気です。自分で自分の体を守る免疫システムがうまく働かなくなる病気。つまり、間接的に自分を責めているともいえそうです。
そして、ここからは想像ですが、同性愛者の方って、潜在的に自分を責める気持ちがあるんじゃないでしょうか。わたしは人それぞれでいいと思いますが、一般的に見れば生産性がないという意見もありそうですし、人との違いを単純に受け入れられない、という人もいそうな気がします。
そういう空気や人の気持ちを敏感に感じ取って、自分達で自分達を責める気持ちが、どこかにあり、それが病気と関係しているような気もします。
ここまで読んで、フレディ・マーキュリーのこともAIDSのことも、特別な人の話と思われますか?わたしは、これからの時代、誰もが独自性を発揮して生きられる時代だと思っています。むしろ、その方が生きやすくなってくるんじゃないでしょうか。コロナの影響もあって、大きなものが崩れつつある時代ですから。そして、心の働きと身体が密接に関係していることは、多くの方々が感じていることではないかと思います。
何が言いたいかと言えば、自分を責めずに、やりたいことをやりたいようにやればいいんじゃないかなということです。それが、あなた独自の輝きとなり、周りの人を魅了していくのだとわたしは思っています。